高校時代の体験から
〜 失敗してもやり直しができる世の中に 〜
1.自身の過ち。救ってくれた当時の恩師
私は高校時代野球部に所属していました。そこでとても尊い体験をしました。高校になると様々な誘惑があります。そのひとつにバイクの免許の取得がありました。
私の学校では遠くから通っている生徒にのみ、学校から許可を得て免許を取っていいという特例がありました。
ところが、私が所属する野球部では固く禁じられていました。
今思えば若気の至りなのですが、当時の私は禁止されていることは知りながらも、
バイクの免許をとってしまったのです。何とかなるだろうと軽く考えていたのです。
しかし、甘かったのです。学校からは謹慎という罰則を受けました。
部活の仲間にも面目がたちません。周りの目も気になります。
私は精神的にも退部寸前まで追い込まれました。
私は退部を覚悟していました。ところが、監督は私にこう言いました。
「諸田にチャンスをやろう。今回のことを大いに反省すればいい。
そして、おまえに本当にやる気があるのならば、これからがんばればいい。
その姿を見せてくれ。だから退部は大目に見よう。」
私は驚きました。監督の気持ちが心から伝わってきました。
監督の気持ちにどうしても応えたい。
そのためにはどうすればいいか考えました。
その結果、「誰もがやらないようなことを一生懸命がんばってみよう」という結論に達しました。
2.恩師に応えるための自立。周囲の支援
具体的には、毎朝みんなが学校に来るよりも早い時間に登校し、近くの山の坂道を10往復することを日課としました。
次の日から私の孤独な闘いがスタートしました。
冬は冷たく、何度もやめようと思いました。
でも、ここから逃げてはいけないと自分に言い聞かせてがんばりつづけました。
そのような生活が10ヶ月近く続きました。足腰が相当強くなったのでしょう。
春先くらいから球の伸びが感じられるようになりました。
その姿勢が監督に伝わったのかわかりませんが、
最後の大会で私はエースナンバーである背番号1をもらいました。
私本人がいちばん驚きました。
入部以来の夢だった背番号1をもらうことができて、本当にうれしかったです。
この体験から、
「失敗しても一生懸命がんばればやり直しができる」
ということを強く信じるようになりました。
以来、私の人生のバックボーンとなっています。
私にとっては本当に尊い体験となりました。
これもひとえに私を見捨てなかった恩師、そして叱咤激励してくれた仲間たちのおかげです。
もし、周りのサポートがなければ、私は野球部を辞め、高校も退学していたことでしょう。
3.失敗してもやり直しができる世の中に
みなさんに伝えたいことは、「失敗したら必ず巻き返してほしい。どんなことでも一生懸命がんばれば自分の力になって跳ね返ってくる。
そして、その努力を見てくれている人が必ずいる。」ということです。
文字通り「失敗は成功のもと」なのです。
それと、もうひとつ伝えたいことがあります。
もし、この時に違う人が恩師だったら私はどうなっていたでしょうか?
チャンスを与えられなかったら、私はどうなっていたでしょうか?
重要なのは「私の失敗を許容し、がんばりを見てくれる人がいた」ということです。
私は幸運だったのです。
失敗を成功にすることができたのは、自分のがんばりを評価してくれた人たちのおかげなのです。
失敗してしまうことは誰でもあります。
しかし、今の世の中全体を見ると、失敗してしまった人に対するチャンスは決して多くなく、
むしろチャンスすら与えられない風潮があるように見受けられます。
なんとも夢がない世の中になってしまったと感じることが多くなっています。
「競争」という言葉に対してあまりいいイメージを持たない方もいらっしゃることでしょう。
しかし、私は夢の実現と競争は表裏一体だと考えます。
競争とは相手に勝つことだけではありません。それは結果に過ぎません。競争には必ずリスクが伴います。
まずは、リスクに対して挑戦しようとする気持ちを持てるかどうかが重要だと思うのです。
言い換えれば、自分自身に負けないことだと思います。
同時に、リスクに対して積極的に挑戦し、自立を促し、
かつその評価を正しく判断できる周辺環境のサポートもとても重要になってきます。
そうした世の中が実現できれば、結果として競争力のある国家になるのではないかと考えています。